デジタルな手書きのメモ帳

プログラミング、コンピュータを使ったものづくり、教育、子どもの発達に関する個人的なメモ帳

2000年代当時の小学生から見たインターネットの世界

従兄の子ども(2歳)がiPadを使って遊んでいた。

2015年、幼児がデジタルデバイスをおもちゃとして当たり前に使い
小学生が動画を編集してYouTubeにアップロードしたり
マインクラフトで友達と遊ぶために自力でサーバをたてたりしてしまう世界だ。

大人たちは口をそろえて
「最近の子どもはすごいね〜。もうついていけないわ。」と言う。
私はその言葉を聞くたびに子ども側の立場で
にやにやしてしまうのである。

コンピュータとインターネットの世界には、
親や学校の先生には入ってこれない領域があるのだ!

なぜ、子ども側の立場にたつかというと
15年ほど前、私もコンピュータとインターネットの世界に
魅了された子どもだったからである。

インターネットが家庭において普及し始めた
1990年代末期から2000年代初頭にかけて
当時小学校高学年〜中学生だった私は
家庭にあったパソコンWindows98を自由に使うことができた。
(当初従量課金のダイヤルアップ接続だったため
インターネットは時間制限されていたけれども。)

小学校にもコンピュータルームが設置される時期で
また2000年〜の学習指導要領が適用される時期でもあったため
「総合的な学習の時間」にてインターネットを使った調べもの学習、
パワポを使った発表学習といった授業も受けた。

というわけで物心ついた頃に出現したパソコンというものは
出会った頃には既にインターネットとセットになっていた。
けれどもSNSもブログさえもまだ世の中に存在していなくて、
「ただの調べものができる箱」だったのである。

さてインターネットに接続された自由に使えるWindowsを手に入れた私は
すぐにその箱を「調べもの」ではなく
「コミニュケーションの道具」として使い始めた。

2000年代当時、ブログもSNSもなかった頃、
学生がつくった子どもたちのための交流サイト(掲示板)が存在した。
そこでは、普段の生活では出会わない高校生、
大学生のお兄さん・お姉さんが話を聞いてくれた。

もちろん、「荒らし」や有害、アダルトな情報も混在していたけど
ある種自治的な空気も流れていて、
ネットを利用する上での個人情報流出の危険、
匿名利用のマナーなど「ネチケット」といわれるものも
すべてネットの中で学んだ。

学校の先生も友達も両親も誰も知らなかったし教えてくれなかったから。
その代わり、その世界はひとつの居場所だった。

コンピュータとのそんな関係がさらに変わったのは小学校卒業目前の頃。
「ホームページの作り方」を知ったときだった。

子どもでもホームページをつくることができると知ったその瞬間、
インターネット上のものはすべて
「ただ見て利用するだけのもの」ではなく、
「自分でつくることができるもの」に変わった。

最初はHTMLタグをいじるだけでできる無料サービスを使っていたけれど
その内、フレームの構成もデザインも0から自分でつくりたくなった。
個人HP用の無料サーバー(広告付き)を借りて
Windows付属のメモ帳でHTMLもCSSも直打ちしてFFFTPでファイル転送して
バナーをつくるためにPhotoshopの使い方も学んだ。
すべてネットで調べて独学でつくった。そのときは中学生だった。

個人の趣味の範囲でしかなかったけど、何よりも楽しかった。

学校の友達でホームページをつくっている子は少数だったけど
2000年代初頭のその頃すでに
インターネット上では個人ホームページ人気ランキング<小学生部門>があるぐらい
大人顔負けのWEBデザインをする子どもたちがわんさかいた。

あぁ、あの頃の「子どもたち」は今、何をしているんだろう。

15年たった今、ふと思う。



あの頃私はインターネットの世界が最先端でカッコいいと思っていたので
コンピュータのハードそのものやプログラミングには興味を持たなかったけど
初期家庭用コンピュータが出始めた頃に出会っていれば
ハードにも夢中になっていたかもしれない。
(そういう世代の方もいらっしゃいますよね。)

本、漫画、テレビ、ゲーム。
大人がつくったものを提供される側でしかなかった子ども時代において、
大人と対等に何かを発信できる可能性というのは本当にわくわくすることだった。


コンピュータとインターネットの世界は変化し続けるからこそ
子どもたちの本来の力が発揮できる場所なのだと思う。
そして子どもたちが「選ぶ」場というのはそのまま社会の未来とつながっている。